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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)13966号 判決 1982年12月17日

原告

阿部恭子

右訴訟代理人

多田武

石田省三郎

向井惣太郎

被告

竹江玉枝

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  被告は、原告に対し、金八〇二万一〇四四円及びうち金七二七万一〇四四円に対する昭和五四年八月八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告の症状及び診療経過

1  被告が玉川学園眼科医院の名称で眼科を開業し、昭和五四年四月一〇日ごろ、原告に対してハイシリック・コンタクトレンズを処方して着装させたことは、当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、原告は、昭和五四年四月六日、玉川学園眼科医院を訪れ、近視及び乱視矯正のためコンタクトレンズを処方して貰いたい旨被告に申し込んだが、とりあえず同日実施した視力検査の結果によれば、両眼とも裸眼視力は0.1、眼鏡による矯正視力は1.2であつた(眼鏡による矯正視力が1.2であつたことは、当事者間に争いがない。)。その後、原告は、被告から各種コンタクトレンズの長所、短所についての説明を受け、被告の助言に従つてハイシリック・コンタクトレンズを処方して貰うことに決め、ベースカーブの測定等各種検査を受け、更には同コンタクトレンズの取扱方法や使用に際しての注意事項を教わつた後の同月一〇日ごろ、被告から同コンタクトレンズの処方を受けるに至つた(原告が同月一〇日ごろ、被告から同コンタクトレンズの処方を受けたことは、当事者間に争いがない。)。そして、原告は、右コンタクトレンズの着装を開始したが、遠方が見づらかつたため同月一六日ごろ、被告に頼んで更に度の強いレンズと交換して貰い、以後そのハイシリック・コンタクトレンズを継続して着装するようになり、その後、同年七月二四日までは特段の異常はなかつたことが認められ<る。>

2  原告が同月二四日、右眼の充血と眼脂が出ることを訴えて被告のもとを訪れたため、被告がこれを診察して右眼角膜擦傷の診断を下し、二、三日は同コンタクトレンズを使用しないよう指示して点眼薬を与えたが、翌二五日に再診した結果、もう異常は認められないとして同コンタクトレンズの着装を許したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告が同月二四日に原告の症状を右眼角膜擦傷と診断したのは、細隙燈顕微鏡で検査した結果、原告の右眼角膜の中央部に長さ約二、三ミリメートルのごく浅い線状の擦過傷が縦に三、四本ついているのが判明したためで、被告は、その治療として洗眼の上テラマイシン眼軟膏及びエコリシン眼軟膏を原告の右眼にガラス棒で点入し、コリマイC点眼液五CCを点眼するなどの処置をし、赤外線照射をした。そして、一日四、五回点眼するようコリマイC点眼液を与え、コンタクトレンズは二、三日は着装しないよう指示した。同月二五日、被告が再び原告を細隙燈顕微鏡で検査したところ、充血はなくなり、右眼角膜の擦過傷は完全に治癒していたが、ただ眼脂が少し認められたので、念のため前日と同様の二種の眼軟膏を用いた複雑洗眼を実施した上、眼脂がなくなればコンタクトレンズを着装してもよい旨申し渡した。ことが認られ<る。>

3  <証拠>によれば、原告は、眼脂が出なくなつたので同月二五日午後からハイシリック・コンタクトレンズの着装を再開し、同月三一日には千葉県御宿へ海水浴に出掛け、同年八月六日夜、帰宅するまで同地の民宿に宿泊したが、この間海で泳いだのは二日ほどで、泳ぐときにはコンタクトレンズは宿に置き、その着脱に際しては手を洗うなど一応の注意は怠らなかつた。原告は、同年八月六日夜、かなり疲労して帰宅し、間もなくコンタクトレンズを外して就寝したが、その時、両眼とも全体的に少し赤味がかつたほかは特段の異常はなかつたのにもかかわらず、翌七日午前九時ごろ、起床した時には右眼瞼が腫れ上がり、充血して眼脂も出ていて、涙が右眼角膜表面に滞留して眼が潤み、右眼にごろごろとした強い異物感もあるという症状が発現しているのに気付き、同日午前一〇時ごろ、コンタクトレンズを外したまま一人で被告のもとを訪れて診察を受けた。被告は、原告の右眼に明白な混濁こそ認めなかつたものの、原告の右自覚症状と同様の症状を認め、更に、細隙燈顕微鏡検査の結果、右眼角膜中央からやや下方耳側寄りに縦約一ミリメートル、横約1.5ミリメートルの角膜上皮剥離のあることが判明したので、細菌感染予防のため七月二四日、二五日と同程度のテラマイシン眼軟膏とエコリシン眼軟膏とを点入して複雑洗眼し、七月二四日に交付したコリマイC点眼液を一日に四、五回点眼するよう指示した。なお、同日の診察に際し、被告は、原告が前日まで一週間位海水浴に行つていたことを同人から聞いていた。原告は、帰宅してからもコンタクトレンズは着装せず、自室で横になつて休み、コリマイC点眼液も指示通り点眼していたが、快方には向かわず、むしろ眼瞼の腫脹等の症状は徐々にひどくなる一方であつた。しかし、同日の診察に際し、原告は、被告から大したことはない旨告げられ、痛みがひどくなつたら連絡するようにともいわない被告の態度、口ぶりからも点眼を実施していれば翌日には治癒すると楽観的に考えていたため、右症状の悪化にもかかわらず、同日再び被告のもとを訪れることはせず、翌日再診に赴くこととして午後一〇時ごろ、右眼を濡れタオルで冷やしながら就寝した。翌八月八日朝の症状は、同月七日診察時にみられた症状の程度がそれぞれひどくなつた状態で、これに差明が加わり、特に右眼瞼の腫脹は著しく、異物感も顕著であつたため右眼を開けることが極めて困難で、そのため左眼を開けるのにも影響が出るほどであつたので、原告は、午前一〇時ごろ、母に付き添われて車で被告方へ行つた。ことが認められ<る。>

右八月七日受診時の症状に関し<証拠>中には、当日の原告の主訴が異物感のみであつたとの被告の主張に添う部分が存するが、以下の理由によりこれをたやすく採用することはできない。すなわち、<証拠>によれば、八月七日朝、原告の右眼瞼が左眼瞼に比べて明らかに腫れ、二重瞼がわからなくなるほどであつたのを原告、母保子ともに認めており、同日の診察時、被告は原告に対し、こういう状態では見えにくいだろうからということで眼帯を施しているし、被告方と原告宅とは徒歩で約一二、三分の距離しか離れていないのに、右診察後、原告は、家を出るときに心配していた母親を安心させるため直ちに公衆電話から電話して大した事はないと被告にいわれた旨報告し、翌八月八日、北里大学病院の担当医師に対し、同月七日朝の眼瞼の腫脹を訴えていることが認められ、右認定を左右するのに足りる証拠は存在しないところ、右認定の事実に照らし、更に八月七日の症状中右眼の充血に関する被告の供述が変遷していてその変遷につき合理的な説明をなし得ていないことを併せ考えると、八月七日の原告の症状に関する被告本人の供述は、信用性が低いものといわざるを得ない。

4  八月八日に原告を診察した被告が原告の症状をみてその手に負えないと判断し、北里大学病院を紹介したことは、当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、被告は、前記3の症状のほか前日診た角膜上皮剥離部分が四倍ぐらいに拡がつて真白に混濁、化膿し、前房混濁、前房蓄膿も伴つているのを認めて細菌性角膜潰瘍と診断し、その症状の進行具合からみてもはや自分の手には負えないと判断し、治療に一刻を争う状態であると考えて直ちに北里大学病院へ転院するよう勧めて同大学病院あての紹介状を持たせた。もつとも被告は、右細菌性角膜潰瘍の起炎菌が緑膿菌であるかもしれないと疑つたが、応急処置としては、前日と同じ二種の眼軟膏を同程度に点入する複雑洗眼を行つたにとどまつた。原告は、右紹介状を持つて同日午前一一時ごろ、同大学病院に赴いたが、一般外来患者と同様の取扱いを受けてようやく午後三時ごろ担当医師の診察を受けたところ、前房蓄膿を伴つた右眼角膜潰瘍と診断されて緊急入院し、翌九日に起炎菌がグラム陰性桿菌と判明し、同月一一日には、膿瘍から緑膿菌が検出された。被告は、引続き入院して同年九月二二日まで抗生物質投与療法を中心とする治療を受け、退院後も昭和五五年三月一八日までの間一〇回にわたつて通院したが、同年三月ごろ、右黒眼の部分の角膜に白斑が残つた状態で症状が固定し、そのため全体に曇つたようにぼんやりとしかものを見ることができず、右眼視力も、眼鏡で矯正しても0.1に衰えたままになるという後遺障害が残存した。右白斑は、外見上は右眼をよく見れば判明する程度のもので、コンタクト義眼という特殊なコンタクトレンズを着装すればその存在がわからなくなり、視力も0.3から0.4まで回復することができる。ことが認められ<る。>

二細菌性(特に緑膿菌性)角膜潰瘍の誘因、発生機序、症状及び治療方法

<証拠>によれば、淋菌及びジフテリア菌以外の細菌が角膜に吸着、侵入するには、角膜上皮に欠損又は何らかの角膜損傷があることを要し、したがつて、角膜上皮に傷害が生ずれば感染の頻度の高い誘因となるが、現実に起炎菌が感染し、症状が発現するには、強毒株か弱毒株かという菌側の因子と生体の抵抗力との相関によつて決まるものの、特にグラム陰性桿菌の一種である緑膿菌の強毒株では、ごく少数の菌でも角膜上皮の損傷部位から感染の機会さえあれば角膜実質内に侵入し、宿主の全身状態に影響されることなく病原性を発揮し、感染する。緑膿菌は、外傷部位から侵入後一日から三日で発症するが、細菌性角膜潰瘍の一般的症状は、角膜表層の浸潤、混濁で始まり、眼痛、流涙、差明及び視力低下を訴え、同時に結膜充血や眼瞼の腫脹が起こり、感染の進行に伴つて角膜混濁は拡大し深くなり、浸潤部の周囲の角膜にも浮腫がみられ、角膜混濁の中央は組織が破壊され壊死に至り脱落して潰瘍が生じ、前房混濁が早期に出現し、前房蓄膿を形成し、適切な治療が行われないと病変は極めてすみやかに拡大し、数日で全角膜がおかされるに至る。このように角膜上皮の損傷が細菌性角膜潰瘍の頻度の高い誘因となるので、これに異物感、眼痛、灼熱感、流涙、充血の増強又は霧視を伴うときは注意を要し、特に損傷周囲の角膜実質に浸潤、混濁をみたら、細菌感染の疑いがあるものとして対処することが必要となる。その治療方法としては、抗生物質の投与に尽きるが、角膜に損傷がある場合には、感染予防の見地から抗生物質の点眼をして経過をみることが望ましく、感染後でも感染を早期に発見し、少しでも早く有効な抗生物質を十分に投与することが肝要で、治療の一日の遅れが視力予後に重大な結果を招くことがある。そして抗生物質の選択に当たつて、近時、緑膿菌が角膜潰瘍の起炎菌として最も高い頻度で見出されるので、起炎菌を確定できない段階では、緑膿菌に対しても効力のある抗菌スペクトラムの広い薬剤を併用することが不可欠となる。緑膿菌に有効な抗生物質としては、緑膿菌のタンパク合成を阻害することにより強い殺菌作用を示すアミノグリコシッド系のものにトプラマイシン、ジベカシン、ゲンタマイシン、アミカシンなどがあり、緑膿菌の細胞膜を障害することにより強い殺菌作用を示すボリペプチッド系のものにコリスチン、ポリミキシンBがある。その投与方法には、局所療法としての点眼の結膜下注射、全身療法としての内服、筋肉注射、静脈注射、静脈からの点滴注入の方法がある。このうち点眼については、水性点眼剤、油性点眼剤、眼軟膏の別があって、いずれも局所に薬剤を直接作用させることができ、抗生物質の角膜内への移行は良好なのでその簡便さとあいまつて第一の治療方法として重要であるが、中でも眼軟膏は、作用時間、眼内移行、安定性の点で利点がある。前記抗生物質を含む薬剤の用法等については、通常の細菌感染においては日中点眼液を三、四回点眼するが、角膜潰瘍など重篤かつ難治の感染症の場合には感染直後からの頻回点眼(日中は三〇分から一時間ごとに点眼し、夜間は眼軟膏を一時間から二時間ごとに点入する。)が有効で、点眼だけでは十分な治療効果が得られないときには結膜下注射や全身投与を併用すべきである。前記の抗生物質は、いずれも起炎菌が緑膿菌と判明している場合は同価値で第一選択とすることができるが、起炎菌が不明な場合には、抗菌スペクトラムの広いアミノグリコシッド系の抗生物質が第一選択となる。細菌性角膜潰瘍は、予後はよくないことが多いが、早期に発見して感受性のある抗生物質を初期に十分に投与するなど適切な治療を行えば、重大な後遺障害を残すことなく治癒し得る。ことが認められ<る。>

三被告の責任原因

1 前記一で認定した原告の右眼の症状、治療経過によれば、原告は、緑膿菌を起炎菌とする細菌性角膜潰瘍に罹患し、その結果として前記後遺障害が残存したものと認められ、前記二で認定した細菌性角膜潰瘍の誘因、発生機序及び症状に鑑みると、右緑膿菌性角膜潰瘍は、昭和五四年八月七日の診察時に見出された原告の右眼の角膜上皮剥離の部分から緑膿菌が侵入し感染したため発症したものと推認することができる。なお、七月二四日の右眼角膜擦傷は、翌二五日の診察時に治癒していることが被告によつて確認されており、その位置、形状に照らしても八月七日に発見された角膜上皮剥離とは全く関係のない創傷であると認められる。

2  そして、右眼角膜上皮剥離が生じ、そこに緑膿菌が侵入した時期については、<証拠>によれば、角膜上皮が剥がれると痛みを感ずる場合が多いが、自覚症状の全くない症例もあることが認められ、右事実に、前示の緑膿菌性角膜潰瘍の発生機序、潜伏期間及び症状並びに原告の右眼の症状の推移並びにその前後の原告の行動を総合すると、原告が海水浴のため御宿に滞在していた間の最後のころであると推認することができる。もつとも、昭和五四年八月七日、被告が原告を診察した時の症状は、前記認定のとおりであるが、これと細菌性角膜潰瘍の一般的初期症状とを比較すると、角膜の混濁、眼痛、差明及び視力低下は右時点で認められなかつたものの、右眼に強い異物感があり、その他の眼瞼腫脹、充血、眼脂、流涙の諸症状は発現しており、これとその後の症状の進行状況、緑膿菌の潜伏期間等を考慮すると、原告が海水浴のため御宿に滞在していた間の最後のころに角膜上皮剥離を生じ、そこに緑膿菌が侵入したとの推認が妨げられるものではなく、八月七日の診察時において原告は、緑膿菌性角膜潰瘍の潜伏期又は発症の先駆的な段階にあつたものと認めるのが相当である。

3 これに対し、前記認定のように被告は、右診察時、右眼瞼腫脹等の症状を認めるとともに右眼角膜上皮剥離の存在を認め、原告から前日まで約一週間海水浴に出掛けていたことを聞いていたのであるから、原告が疲労していたことと重なり、右眼角膜上皮剥離部分からの細菌の侵入感染を受けやすく、症状も進行しやすい状態にあつたことを知り得たのであつて、被告本人尋問の結果によれば、前記二で認定した細菌性角膜潰瘍に関する知見は、眼科開業医として被告にも十分あつたと認められるから、被告としては、八月七日の診察時に原告が右眼角膜上皮剥離部分からの細菌侵入感染を原因とする細菌性角膜潰瘍に罹患している蓋然性が極めて高いことを知り得たということができ、また、この段階では起炎菌が確定できないのであるから、被告としては、これに対する治療として抗菌スペクトラムの広いアミノグリコシッド系の抗生物質を点眼や結膜下注射等の方法によつて、細菌感染予防のための投与量を超えて十分に投与し(点眼は、少なくとも日中三〇分から一時間ごとの頻回点眼を実施し、原告にもその旨指示すべきである。)、細菌性角膜潰瘍の病変の進行を阻止すべきであり、更に、細菌性角膜潰瘍であれば、短時間で病状が急変するのであり、それに罹患している蓋然性が極めて高いことを知り得たのであるから、同日の午後又は夜にでも、もう一度受診に来るように強く指示を与えるべきであつたということができ、被告が右治療行為に出ること及び右指示を与えることは、容易かつ十分に可能であつたと認められる。ところが、被告は、八月七日の診察時に漫然と治療を行つたため、原告が細菌性角膜潰瘍に罹患している蓋然性が極めて高いことを知り得ず、治療として単にエコリシン眼軟膏とテラマイシン眼軟膏とを同年七月二四日に一般的細菌感染予防の趣旨で点入した際と同程度点入し、コリマイC点眼液を通常の用量である一日四、五回の割合で点眼するよう指示したにとどまつたのにすぎなかつた。前出の乙第一四から第一六号証まで及び前記二で認定した緑膿菌性角膜潰瘍の治療方法によれば、テラマイシン眼軟膏には緑膿菌に抗菌力を有し、抗菌スペクトラムの広い抗生物質であるポリミキシンBが、また、エコリシン眼軟膏、コリマイC点眼薬には緑膿菌に抗菌作用を示す抗生物質であるコリスチンがそれぞれ含まれていることが明らかであるが、右程度の投薬では、一般的細菌感染予防の趣旨ならばともかく、既に細菌性角膜潰瘍に罹患し、その潜伏期又は発症の先駆的な段階にあつた原告に対する治療としては極めて不十分なものであつたといわざるを得ない。

4 その結果、前記認定のとおり症状は進行し、八月八日午後一〇時ごろには原告の右眼角膜は白濁し、前房混濁、前房蓄膿が生ずるまでに至り、もはや開業医である被告の手に負えない状態となつたものであり、被告において、八月七日の治療時に十分な抗生物質を投与し、頻回点眼を指示し、更には、その日の午後又は夜に再び受診に来院するように強く指示するなど適切な治療を施し、指示を与えていれば、当時は角膜混濁が発現する前の細菌性角膜潰瘍の潜伏期又は発症の先駆的な段階であつたのであるから、病変の急激な進行を防ぎ得たか、少なくとも本件のような後遺障害を残すに至る程度には悪化しなかつたものと認められる。そうすると、原告が請求の原因(六)の(1)、(2)及び(4)で各主張する被告の過失の有無につき言及するまでもなく、同(3)で主張する被告の過失を肯認することができるので、被告は、右過失により原告の被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

四損害について

1  入通院治療費 二一万〇三〇九円

2  入院雑費 二万三〇〇〇円

3  通院交通費 これを認めるべき証拠がない。

4  逸失利益

<証拠>によれば、原告の後遺障害が固定した昭和五五年三月ごろ、原告は、健康な一八歳の女性で、現在は大学三年に在学中であることが認められ、前記のとおり本件ハイシリック・コンタクトレンズを着装する前の原告の右眼の視力は、裸眼で0.1、眼鏡による矯正で1.2あつたのが、被告の過失により右黒眼に白斑が残存し、右眼の眼鏡による矯正視力は0.1に衰え、ただコンタクト義眼という特殊なコンタクトレンズを着装すると右白斑は隠れ、0.3から0.4の矯正視力が得られるという後遺障害が残つたものであつて、右後遺障害の部位、程度並びに一眼の矯正視力が0.6以下になつた場合は、自動車損害賠償保障法施行令別表(後遺障害別等級表)の第一三級の一号に該当し、かつ、労働基準局長通牒による労働能力喪失率表によれば右一三級に該当する者の労働能力喪失率は九パーセントであることを考慮すると、原告の右後遺障害による労働能力喪失率は、九パーセントであるとみるのが相当である。経験則によれば、本件後遺障害がなければ、原告は、満二二歳から満六七歳までの四五年間稼働するものと推認でき、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、女子労働者、旧大・新卒全年令平均の平均賃金が年間二六八万四四〇〇円であることは当裁判所に顕著であるから、これに従つて原告の逸失利益の現価を新ホフマン計数表を用いて算出すると、五〇三万七七三五円となる。

5  慰謝料 二〇〇万円

6  弁護士費用 七五万円

<以下、省略>

(榎本恭博 滝澤孝臣 奥田正昭)

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